2012年5月31日木曜日


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

前のブログで、「私には絶対方向感があり、一度行ったところへは地図無しでたどり着ける。」と書いた。
しかし、「3年前のことだ。ただ記憶が残っていただけなんだろう。」と言う人があるかもしれない。
確かにその通りである。

けれども、これを聞いてもらえれば、「私の絶対方向感を確信して戴ける」取って置きの話がある。

オランダのアムステルダムのお話である。

その観光名所の一つに、「アンネ・フランクの家」がある。
私が初めてそこを訪れたのは、1974年、今から37年前のことだ。
2度目に行ったのは2004年のことで、その間30年隔たっている。

その二回目の訪問の際に「家」の前に立った時、風景が前に見たのと少し違うことに気がついた。

右斜め前方� ��大きな教会の屋根が見える。
正面から教会に向かって臨む角度が前より少し大きくなっている。
家の中に入っても、何となく前と微妙に違う。

そこで、係の人に「30年に来た時と様子が違うと思うんだけど、何か変わっていることはないのか?」と尋ねた。
すると「この家は本物の家の一軒隣である。アンネが住んでいた家は観光客の出入りで痛んできて保存が困難になり、教会から離れた側の隣の家を公開している。」との返事であった。

それから7年経っているが、おそらく本物はもう公開されることはないと思う。
それを確かめに2~3年後にオランダを訪れたいと思っている。

ともあれ、恒久的だか一時的だかは不明だけど、少なくとも2004年の頃は「お隣さん」が公開されていたのだ。
� ��が調べた限りでは、ガイドブックにもインターネットの書き込みにも、この事に触れたものはない。
ネガティブな事柄を誰も公にしない(それ以前に、この事実を知らない)からであろう。
すなわち、これを知っているのはオランダ政府の文化庁・観光局の職員と近所に住む極く一部の人しかいないことになる。
日本人では、私一人かもしれない!!

逆に言えば、嗅覚がするど過ぎて知らねばよかったことを知ってしまい、夢を壊してるのかも?!

2011年11月18日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

今年の旅行でも、ご他分に洩れず、様々なハプニングに遭遇した。
その中でも、皆さんは滅多に体験しないであろう「ホトンド私だけの出来事」について書いてみよう。

まず第一の大事件は「持って行ったパソコンが旅の初めに壊れてしまったこと」である。

親しい人へ送った絵葉書に「パソコンが使えないことを除いては、旅は順調です。」と書いた。
しかし、これは本音ではない。
パソコンが使えないことは、私にとって「旅の楽しみを半減する」程の大きな痛手なのである。

ともかく、ブログが書けない。
さらに、交通・気象などのリアル・タイムの貴重な情報が得られない。
さらにさらに、ウオークマンの充電ができない。

この不便を解消するために、日本語が使えるコンピュータ を置いているインターネット・カフェを探す。
そんなものが見付かるはずがないと思いつつ、奇跡が起こることを一縷の望みにして街をさまよい歩くことになる。
こうして、イライラしながら時間と体力を無駄に消耗してしまう。
予定していた観光がこなせない。
ストレスが溜まること、この上なしである。

結局、プラハでもブダペストでも、日本語が使えるコンピュータには巡り会えなかった。
ようやく私の条件に合うコンピュータに出会ったのが、旅行開始6日目のウィーンのインターネット・カフェ。
このカフェは、3年前に使ったことがある。
その時コンピュータを持っていたが、ホテルに無線LANが無かったので、やむを得ずそこでブログを書いた。

今回は無線LAN完備のホテルを予約し ていたので、まさかここを使うとは予想だにしていなかった。
ウィーンは3回目で、かつ2泊しかしない予定だったので、カイドブックは持ってきていなかった。
ということは、店の名前も、所在地も全く分からない状況だった。
では、どうしてこのカフェにたどり着けたのか?

ここから、私の真骨頂を発揮する。

私は、例えそれが何十年前であろうとも、自分で探しながら歩いた道はくっきりと思い出すことができる。
まるでVTR、いや今ではDVDかな(?)、を再生するが如くに。

私の本能は「先ず地下鉄に乗って『カルルス・プラッツ』まで行け。そしてリング(ウィーン旧市街の環状道路。トラムも走っている。)の内側に入れ。そこから東に2筋歩き、左折して北へ3筋歩け。赤っぽい建物で行き止ま っているから、そこを左折しろ。カフェは左手にある。」と言っている。

その通りに歩いてみた。
東に一筋歩いたところで左を見たら、見覚えのある風景が広がっていた。
ここの一筋は「普通の一筋」よりも遙かに長いので、2筋と勘違いしていたようだ。
あとは本能の命ずるままに歩き、一発でカフェが見付かった。

私は、常々、「私には、犬と伝書鳩との本能が兼ね備わっている。」と豪語している。
地図とコンパス(方位磁石)が有れば、世界中のどこへでも行ける。
一度行ったところなら、何もなくても目的地にたどり着ける。
頭の中の映像記憶機能は、下手なコンピュータを上回っている。
これが「どこへ行っても物怖じしない」原動力の一つなのだ。

初めての土地でタクシーに乗って、帰 りは歩くことなどはヘッチャラである。
37年前に歩いた「スイス・グリンデルヴァルトの山道」の道筋もはっきりと憶えている。
私はこのことを「絶対方向感」と言うのだと信じている。

ということで、ウィーンのインターネット・カフェには無事たどり着いた。

後は、チェコ人の友達のコンピュータを借りたり、ローテンブルクのカフェで和文字を打ち込めないコンピュータを使って、ローマ字でこのブログを書いたりもした。

パリでは、たまたまガイドブックで見付けた「日本人専用のインターネット・カフェ」を5回使った。

そういう訳で、今回の旅行では「インターネット・カフェ代」が高くついたヨ。

2011年11月13日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

今年(2009年)の旅は、過去16回の海外旅行で間違い無く最良の旅であった。
その理由を列挙してみよう。

(1) 健康に恵まれた。
一ヶ月の旅行中には、「今日は疲れたから、ホテルで寝ていよう」とか「風邪薬を飲んで静養しよう」という日が2?3日有ってもおかしくない。ところが、今年はそのような日が全く無かった。
午前2時に寝、5時に眼を醒まし、風呂に入る。6時半~7時からの朝食を済ませ、直ぐにホテルを飛び出す毎日であり、疲れたという感覚が無かった。
このことが、以下に述べる「全て良し」の結果に繋がったと思う。

(2) 多くの友人を得、多くの人と話ができた。
私の旅の第一目的は、「地元の人と話すこと」および「友を作ること」である。
勿論、景色か良いに越したことはないが、それは二の次である。

今回、現在でもメールを交換している三人の言語関係者に出会った。
一人は日本の方で、「自動翻訳」を研究している学者。
もう一人はドイツ人で、スカンジナビアの少数民族「サーミ人」の言葉についての辞書や文法書を出版している言語学者。
最後は、偶然知り合い、チェコ語の基礎を教えてくれたチェコ人男性。

その他、これから連絡しようとしている「ドイツの室内装飾家の女性」や「ドレスデンの国立美術館に勤めるチェコ人女性」。
旅の途中で会話を交わした「忘れえぬ各国の人々」やこのブログを紹介し� �「日本人旅行者の方々」。

2012年5月17日木曜日


1 ::2011/03/01(火) 13:19:22.35 ID:yyi7zwWS0
クズすぎる
死にたい
2 :名も無き被検体774号+[sage]:2011/03/01(火) 13:24:08.27 ID:m9eM6ksAO
頼むから公道にでないでください。
3 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:30:54.22 ID:CcuYU3CL0
実技は何時間オーバー?
4 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:37:47.94 ID:639EvAI5O
お前よりは随分マシだわ無能
寝てないで働けや
お前についてもご注進に及んでやるよ
ありがたく思えよ無能
5 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:47:16.28 ID:TbJxQqvJ0
まぁアレだ。どんまいだな
6 ::2011/03/01(火) 13:49:29.72 ID:yyi7zwWS0
>>2
それはちょっと・・・

>>3
1段階は4時間オーバーした
2段階は0時間

>>4
ありがとうございます有能様
頭が上がらないです

7 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:50:20.38 ID:p1+3zVa2O
金と時間はかかるだろうが、人間性は失われないよ
がんがれ
8 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:52:52.00 ID:639EvAI5O
訴訟ってそういうもんだよ無能
9 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:53:33.64 ID:TbJxQqvJ0
正直そこまで受けられるお金がある時点で羨ましい
お金切り詰めて免許とってたから毎日必死こいて勉強してたなぁ
10 ::2011/03/01(火) 13:54:26.12 ID:yyi7zwWS0
>>5
どうも

ちなみに今度3回目の卒検だ
運が悪いだけなのか俺の実力不足なのか分からん
おおむね後者かな

11 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:55:33.99 ID:639EvAI5O
そのわりにあまり身についてないな大倉先生
12 :名も無き被検体774号+:2011/03/01(火) 13:57:14.61 ID:TbJxQqvJ0
>>10
学科で落ちてるなら完全に実力不足だな。
もし路上で落ちてるなら
・いつもなら止まってない場所に車が路駐してる
・いきなり車がでてきた

とかの運要素もあるが。
学科はたしか100問中95点が合格だっけかな
運でクリアするにはまず無理

2012年5月15日火曜日


グレート フォールズ (モンタナ州)のホテル予約はオクトパストラベル。ランキング情報で人気ホテルを今すぐチェック!今すぐ格安料金でご予約いただけます。ロケーションにこだわる方にはランドマーク検索がおすすめです。

2012年5月13日日曜日


12個のコインを3個ずつのグループに分けます(A,B,C)

AとBを天秤に乗せたら釣り合いませんでした。

AとCを天秤に乗せます。

→つりあったら、Bの中に重さの違うコインがある。

→つりあわなかったら、Aの中に重さの違うコインがある。

重さの違うコインのグループから3個チョイス。

2012年5月11日金曜日


●恐ろしいデレバレッジングが始まった 債務の山の麓での厳しい強行軍 2012.03.15(木)英フィナンシャル・タイムズ紙

レバレッジング(負債圧縮)」は、大変な旅を指す不快な言葉だ。すなわち、信用バブルの後に過剰債務を減らす旅である。今、その努力が特に難しいのは、米国やその他の経済大国に影響を及ぼすからだ。デレバレッジングは単に地域の出来事ではなく、グローバルな出来事なのだ。

 マッキンゼー・グローバル・インスティテュートは1月、デレバレッジングに関する貴重な調査報告の改訂版を公表した*1。これは、はっとさせられる資料だ。デレバレッジングの道のりは、まだ先が長いことを示しているからだ。だが幸い、報告書は米国経済がデレバレッジングで最も進んでいるということも示している。

一時的な財政赤字の増加は恐慌を防ぐ< br/> 債務をさらに抱えることで債務から抜け出すことはできない。読者の皆さんは一体何度、このような論評を読んだだろうか? 

 これは決まり文句だ。そしてマッキンゼーの調査が指摘しているように、間違った考えでもある。1990年代初頭に大きな危機に見舞われたスウェーデンとフィンランドは、なぜそれが間違っているかを示す好例だ。

 穏便なストーリーは以下のように展開していく。まず、借り入れの急増は巨大な金融危機に終わる。政府はすぐに金融システムを再編する。過剰な債務を抱えた民間の借り手は、支出を大幅に削って債務を減らす。中央銀行は金利を引き下げる。

 結果的に生じる経済活動と利益の急減により、政府は巨額の財政赤字に追い込まれ、一方で財政赤字が経済を支えることにもな� �。最後に、輸出に助けられて経済が回復し、政府が財政再建に乗り出す――。

 このように、財政赤字の一時的な増加は、民間部門が支出削減を余儀なくされる事態から経済を守る助けになるわけだ。財政赤字が増えない場合、恐慌が生じ、返済ではなく大量の破綻によって債務が減っていくことになる。

民間部門の回復のために必要なこと
 残念ながら、スムーズな調整の道のりは、時間がかかる。また、政府の信用力にも左右され、政府の信用力は民間部門のそれより大幅に高くなくてはならない。米国と英国にはこれが当てはまるが、スペインには当てはまらず、同国は激しい緊縮を強いられている。

 危険なのは、民間部門がいつになっても完全に回復しないことだ。日本では、これが起きたように見える。マ� ��キンゼーの調査報告書は、その危険を回避するには何が起きなくてはならないか説明している。リストに挙げられているのは、銀行システムの安定、財政の持続可能性に向けた確かな計画、構造改革、投資と輸出の増加、住宅市場の安定、建設活動の回復などだ。

 経済が支えられる債務の量は、誰が借りて誰が貸したのかということに加え、担保の価値、そして何より経済活動によって決まる。不必要に破壊的な債務の減少をもたらす最も確実な方法は、経済が崩壊するに任せることだ。

 積極的な金融政策と、一時的な多額の財政赤字が重要なのは、このためだ。民間部門が削減に取り組んでいる時に公的部門が支出を維持しなければ、民間部門は度を越すまで支出を削減し、不必要に深刻なダメージを経済に与えてしまう 。

米国のデレバレッジングが大きく進み、英国とスペインが遅い理由
 では、デレバレッジングは今、どこまで進んだのか? 

 米国の場合、2008年から2011年第2四半期にかけて、債務総額は国内総生産(GDP)比で16%減少した。英国とスペインでは、同じ期間に債務が増加している。1つには、英国やスペインと比べると、米国がはるかにうまくGDPの水準を維持してきたためだ。また、米国では、金融機関と金融以外の企業部門も首尾よくデレバレッジングを進めてきた。

 だが、英国とスペインでは、金融部門はデレバレッジングを行っていない。そして何より、米国は英国やスペインよりも家計の債務を大きく削減してきた。米国では、主にデフォルト(債務不履行)のおかげで、家計債務の絶対額さえ減少している� �

 米国の家計債務は、1990年代のスウェーデンのデレバレッジングに並ぶまでには、まだ道のりを3分の1ほど進んだだけだとはいえ、米国の長期トレンドの水準まで戻っている。

 全体的に見ると、危機後の米国は、英国とスペインより健全な状態にあるようだ。政府と民間を合わせた米国の債務総額(2011年第2四半期でGDP比279%)は、英国(507%)やスペイン(363%)よりはるかに少ない。米国政府の借り入れ能力は依然高い。

 英国政府の借り入れコストも低いままだ。GDP比219%に上る金融部門の巨大なバランスシートが、英国の高い債務水準を概ね説明する。だが、英国政府は歳出を削減している一方、民間部門のデレバレッジングは遅々として進まない。

 スペインでは、政府の借り入れコストが米国や英国より 大幅に高く、民間部門のデレバレッジングはこれまで、ごく限られたものになっている。

2012年5月9日水曜日


© 2012 トリップアドバイザー LLC がすべての版権を保有します。 TripAdvisorの利用規約プライバシーポリシー.

いくつかの写真はVFM Leonardoより提供されています。

2012年5月7日月曜日


 

台北で、いちばん気軽な距離で海水浴を楽しめる「淺水湾」。

イヌ連れなこともあって、夏は何度か利用しています^^。

イヌやコドモが海好きなことももちろんですが、淺水湾は水遊び後のビーチサイドレストランがなかなか楽しいか

ら♪、ということが理由でもありマス。

 

 

 

 

                おそらく淺水湾でいちばんの有名店、「VILLA SUGER」。

 

 

               雑誌やメディアなどでも常連のお店です。ステキでしょう〜?^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年5月5日土曜日


更新日 平成21年3月23日

「水の惑星」と呼ばれるほど多くの水を持つ地球。しかし、地球の水のほとんどは海水で、利用できる河川などの淡水は、1%にも満たないと言われています。その限られた水を生活用水や農業用水、工業用水など、さまざまな目的に使っています。
私たちは、飲料水や炊事、洗濯、入浴など、水なしでは一日として暮らすことができません。蛇口をひねれば簡単に出てくる水があまりにも身近すぎて、その有り難さを忘れてしまっているのではないでしょうか。
今回の特集で、日ごろ何気なく使っている水が、どのようにして私たちのもとに届くのか、また、一人ひとりが行う節水がなぜ必要なのか考えてみましょう。

もし水がなくなったら・・・・・

炊事、洗濯、トイレに入浴と、私たちの生活は大きく水に依存しています。そして、私たちはいつでもどこでも水道の蛇口からは水が出ると考えています。しかし、ダムの水がなくなり水道の蛇口から水が出なくなると、私たちの生活はどれほど困るのでしょうか。

2012年5月4日金曜日


2012-05-03 02:51:29

無料

かわいくて癒されるけど、これを使うことで充電の減りが早いような...と思いつつ使い続けて...

2012-05-03 11:56:15

無料

すごい ちゃんと認識してくれる。何回か撮り直したり、多少自分で編集する必要があるけど、...

2012-05-03 01:41:45

無料

2012年5月2日水曜日


Vol 5

皮肉な言い方をすれば、私たちは大きな問題であればあるほど、安心して論じることができる。

「地球温暖化をどうする」「アフリカの貧困をどう救済する」といった問題は、とうてい個人の手におえるものではない。

2012年5月1日火曜日


無理数の発見の歴史

ページの最終校正年月日 :

無理数の発見の歴史

-- 目次 --

1. 始めに

無理数がどのように発見されたかに関して、 最初はあまり深く考えてはいなかったのですが、ラングランの講義録 (一般市民向けの講座, 後述) に書かれていることから、考え直すことになりました。

引用されていたのは、ハーディー・ライトの有名な古典(後述) です。 私も持っているのですが、あまり歴史との関連で読んだことがなく、 ラングランの指摘から随分違うことに気が付くことになりました。

ピタゴラス BC 569 頃 - BC 475 頃 が無理数であることがピタゴラス学派によって発見
テオドロス BC 465 - BC398 が無理数であることの証明 (m≦17 or m<17, m≠平方数)
デモクリトスBC 460 頃 - BC 370 頃 「無理直線と立体」
テアイテトスBC 417 - BC 369 m≠平方数 のときに が無理数であることの証明
ユークリッド原論の第 10 巻、第 13 巻の元々の著者 ?
エウドクソスBC 408 - BC 355 ユークリッド原論の第 5 巻の元々の著者
アリストテレスBC 384 - BC 322 が無理数であることが
偶数奇数に基づいて示されることを言及
ユークリッドBC 325 頃 - BC 265 頃素因子分解の一意性

おおよその歴史を書けば、上の表の様になります。かいつまんで説明をすると。 ピタゴラス学派によって「 が無理数であること」が証明されたようですが、 この時点では「素因子分解の一意性」が知られていなかったようで、そのため m が平方数でないときに 「 が無理数であること」は証明できなかったようです。 「素因子分解の一意性」はユークリッド原論で証明されているとされていますから、 この時点で、多くの無理数の存在がようやく確定したことになります。 テオドロスの時点ではそこまで到達できず、m<17 あるいは m≦17 までの 非平方数に対してのみ が無理数であることが証明できたまでのようです。

このテオドロスの証明は残っておらず、多くの憶測があります。本文中ではハーディー・ライトの 本にある通りに紹介をしております。

古代ギリシャではどのようにして無理数論が発展したのかよくわかりませんが、 その集大成はユークリッド原論の V のようで、これはエウドクソスによるものと されています。ユークリッド原論の V では実数が等しいか否かを「デデキントの切断」によって定義していますから、 わずか数百年の間に目覚しい発展を遂げたことがわかります。

素因子分解の一意性の証明には通常次が必要となります。 これはピタゴラス学派の時代には知られていなかったことで、 ユークリッド原論には (同等の) 記載があります。一般には 「基本定理」とは呼ばれませんが、素因子分解の一意性が確立すると共に 非常に多くの無理数が発見された理由でもあるようなので、 その意味で、このページでは「基本定理」と呼ぶことにします。

基本定理

p を素数とする。p が自然数 a, b (>1) の積 ab を割り切れば、p は a, b のいずれかを 割り切る。

無理数の発見に関する話をするためには、「素因子分解とその一意性」のことから始めないといけません。 最初にかいつまんで整理します。その次の「無理数の発見」の内容は 基本的にはハーディー・ライトからの引用です。

ここまで書き終えた後で、インターネットの英語のページで「無理数」、「幾何学的証明」 を検索すると随分多くのページがヒットすることがわかりました。 「無理数であることの幾何学的証明」は英語圏ではとてもポピュラーな話題なようです。 面白いことが書いてあるので、色々検索されたページを参考にして 「 が無理数であることの幾何学的証明」を付け加えることにしました。 英語圏ではピタゴラス学派が 「 が無理数であること」を幾何学的に 証明したと考えている人が多く、それがポピュラーである理由のようです。


追加: 以上を書きあげた後で、ずいぶん経ってから、ファン・デル・ヴェルデンの本を何気なく 目を通していたら、ここにピタゴラス学派による「 が無理数であることの証明」が解説されていることに 気がつきました。推論ですが、とても説得力があります。「始終目を通しているのになぜ気がつかなかったのか ?」 と言われそうですが、「ディファントス方程式」と題した章の中の「ペル方程式」の箇所に書かれており、 これはもっと後世のディオファントスの頃の解説であろうと決めつけていたためです。 ピタゴラス学派による「 が無理数であることの証明」は 現代的な言い方をすれば の連分数展開が有限で終了しないということからの結論で、あわせて特別な形のペル方程式も解いていることが確実となりました。 ピタゴラス学派は が無理数であることを示すことを目的としたのではなく を有理数で近似しようとして、 その結果気が付いたはずなのです。

なお現代の意味における連分数展開は、厳密には古代ギリシャにはありませんが、 同等のことが線分に対して、ユークリッド互除法を適用することで得られます。 ユークリッド原論にもこのように扱われています。

ピタゴラス学派による の近似に関してはディクソンにも記述があり、ファン・デル・ヴェルデンと同様に プロクロスによる注釈を根拠にしています。 ディクソンには の近似をするための漸化式の根拠が書いてありません。 ファン・デル・ヴェルデンは、この漸化式が現在の言葉では の連分数展開から得られるものである ことを指摘し、またその形から、連分数展開が循環することがわかり、 これで が無理数であることが結論できるはずだと言っているのです。

色々混乱したため 「連分数展開 - 現代的視点から」と「ペル方程式 - 現代的視点から」 を付け加えましたが、これを読むのは不要かもしれません。 「互減法 - 古代ギリシャの観点から」 を直接読む方が直観的により理解できるかもしれません。 この箇所の記述はファン・デル・ヴェルデンの記述を参考にして、 互減法 (互除法のこと) がどのように古代ギリシャで理解されていたのかを推測して書いたものです。

新たに追加したのは第五章以後です。第五章に掲げた「 が無理数であることの幾何学的証明」 は、ボイヤーに載っているものです。色々読みあさっているうちに気がつきました。

2. 素因子分解とその一意性

ごく基本的な言葉から導入します。

整数 a, b (≠ 0) に対して

と書けるとき

  1. a は b の倍数
  2. b は a の約数
  3. b は a を割り切る

と言います。自然数 a, b (≠ 0) に対して

  1. a, b の両方を割り切る自然数を a, b の公約数と呼び、
  2. a, b の両方で割り切れる自然数を a, b の公倍数と呼ぶ。
  1. 2 つの自然数 a, b に対して、a, b が互いに素であるとは、 a, b の公約数が 1 のみである時である。
  2. 自然数 p (>1) の約数が 1, p のみのときに、p を素数と呼び、そうでなければ 合成数と呼びます。

素数に関しては次の定理が基礎となります。

定理 (素因子分解とその一意性)

任意の自然数 n は素数の積で書け、その分解の仕方は積の順序を除けば一意的である。

任意の自然数 n を素数の積で表示することは簡単です。 n が合成数であれば、2 つの数の積 n = n1n2 と なり ni が合成数であれば、更にそれを分解すればよいだけだからです。 だから、いつかは素数の積になります。 従って、本質的なのは「素因子分解の一意性」の方です。これを示すには

n = p1 ... pr = q1 ... qs  (pi, qj 素数)

のような表示があったときに

p1 ... pr = q1 ... qs ...... (*)

の両辺から同じ素数を見つけて、順番に割っていけば、結論に到達します。例えば p1 = q1 であることがわかれば

となるためです。積の順番を並べ替えて、常にこのようにすることができれば、それで証明が完了します。

以上の点から、素因子分解の一意性を示すには、次の定理を示すことができれば よいことがわかります。この定理を何度も適用することによって、(*) の左辺の pi は 右辺の qj の中にないといけないためです。

基本定理

p を素数とする。p が自然数 a, b (>1) の積 ab を割り切れば、p は a, b のいずれかを 割り切る。

実質、これはユークリッド原論で知られていたこと (p 166) で、そのため「素因子分解とその一意性」が ユークリッドに知られていたとされています。但し、ユークリッド原論では少し違う形で 述べられています。現代的な言葉で書くと次のようになります。 またユークリッド原論の証明も現代的な形で紹介することにします。

基本定理 (ユークリッド原論における形)

a, b が x と互いに素であるとする。そのとき c = ab は x と互いに素である。

基本定理の現代的な証明も付けておく事にします。(証明にも色々ありますが、 可換環論などに深入りせずにした場合の証明です)

3. 無理数の発見

が無理数であることの 2 つの証明

ハーディー・ライト の本の 4.3 (p 39) のあたりから抜粋をする必要があります。 まず定理を掲げています。

ハーディー・ライト は 2 つの証明を挙げています。それも紹介しないといけません。 (読みやすくするため、原書を少し変更して紹介します。)

「第一の証明」では素数 p が a2 を割り切っていることから p が a を割り切っていることを 結論しています。従って、これは「素因子分解とその一意性」で示した「基本定理」を 適用しているのです。

ハーディー・ライトは 2 つの証明を比較検討しています (p 41)。内容を少し紹介することにします。 第一の証明では

p が a2 を割り切る =⇒ p が a を割り切る

という事実を使用しており、これには「素因子分解とその一意性」の「基本定理」 と称したものを使う必要があります。この証明の良い点は m が平方数でない場合にも が無理数であることを示すことができることです。

一方、第二の証明では

2 が a2 を割り切る =⇒ 2 が a を割り切る

という事実を使用していますが、これを示すには「基本定理」を知らなくても可能です。 というのは、a が奇数 2s + 1 であれば

a2 = (2s + 1)2 = 4s2 + 4s + 1

となり、a2 は偶数とはならないためです。だから a2 が偶数であれば a は偶数です。

第二の証明に関しては が無理数であることを示すために補正することができます。 しかし、

5 が a2 を割り切る =⇒ 5 が a を割り切る

という事実を示すには、5 が a を割り切らなければ a = 5s+1, 5s+2, 5s+3, 5s+4 の 可能性がありますから

a = 5s+1 =⇒ a2 = 25 s2 + 10 s + 1 
a = 5s+2 =⇒ a2 = 25 s2 + 20 s + 4 
a = 5s+3 =⇒ a2 = 25 s2 + 30 s + 9 
a = 5s+4 =⇒ a2 = 25 s2 + 40 s + 16

のように、起きうる場合をすべて計算して、いずれも a2 が 5 で 割り切れないことを確かめる必要があります。

以上の方法を取れば、m が平方数でない場合に が無理数であることを示すには m が大きくなればなるほど、計算が大変となり、困難となります。

ピタゴラス学派の証明は m が大きくなれば、困難であったことが次の「テオドロスの発見」 で明らかとなります。従って、第二の証明がピタゴラス学派の証明であった可能性も 残ることになります。

テオドロスの発見

ハーディー・ライトを部分的に翻訳することにしましょう。

「ピタゴラスの定理」が何時、誰によって発見されたかは不明である。 Heath のよると「発見は恐らく、ピタゴラス自身によるものではない、しかし ピタゴラス学派によるものであることは確実である」。 ピタゴラスの生存期間は BC 570-490 頃で、 BC 470 年頃に生まれたデモクリトス (Democritus) は「無理直線と立体について」(on irrational line and solids) を書いた。そのため「 が無理数であることが発見されたのは デモクリトスよりも以前であると結論せざるを得ない」

訳注 (1)「ピタゴラスの定理」とは「 が無理数であること」
(2) 引用されている Heath の文献は Sir Thomas Heath, A manual of Greek mathmatics, 54-55

定理は 50 年以上も拡張されなかったようである。プラトンのテアイテトス (Theaetetus) に は有名なくだりがあり、そこではテオドロス(Theodorus, プラトンの先生) が

, , ....

が無理数であることを、別々に取り上げて、証明したことが記述されています。 ところが 17 の平方根に至って、何らかの理由で突然に中止しています。 我々はテオドロスによるこの発見、あるいは別の発見に関して、正確な情報を 持ち合わせていません。しかし プラトンの生存期間は BC 429-348 ですから、 この発見はおよそ BC 410-400 年頃であろうとしてよいと思われます。

テオドロスがどのようにして定理を証明したかに関しての問題は多くの歴史学者 の巧妙な発想を喚起した。

ハーディー・ライトは更に議論を続け、テオドロスがした証明に関しては、 McCabe による証明が最も可能性のあるものであるとしています。 を取り扱ったか否かはギリシャ語の ニュアンスからは不明で、McCabe の方法は で証明が困難になるというものです。

最後に Zeuthen による「 が無理数であることの幾何学的証明」にも頁を割いています。 これもテオドロスがしたかもしれない証明です。

このどちらの証明もハーディー・ライトに書かれているように紹介することにしましょう (翻訳です)。

が無理数であることの証明 (McCabe)

ハーディ・ライトからの翻訳です。

順番に N に対して を考察する際に、テオドロスは N = 4n を無視することができた。 に関してはすでに扱っていたためである。これ以外で N が偶数である場合には N は 2( 2n + 1) の形を取り、 の証明がそのまま適用できる。従って N が奇数の場合を 考えればよい。このような N に関しては

= a/b,  gcd(a, b) = 1

とすれば Nb2 = a2 となり、a, b は共に奇数となる。 a = 2A + 1, b = 2B + 1 とすれば

N(2A + 1)2 = (2B + 1)2

N は次の形でなければならない。

4n + 3,   8n + 5,   8n + 1

もしも N = 4n + 3 であれば、積を作って、2 で割れば、次を得る。

8nA(A + 1) + 6A(A + 1) + 2n + 1 = 2B(B + 1)

これは不可能である。左辺が奇数で、右辺が偶数である。 N = 8n + 5 であれば、積を作って、4 で割れば次を得る。

8nA(A + 1) + 5A(A + 1) + 2n + 1 = B(B + 1)

これも不可能である。というのは A(A + 1), B(B + 1) は共に偶数であるからである。

8n + 1 の数が残ることになった、これは 1, 9, 17,... が該当する。 無論 1, 9 は自明で、N = 17 で困難となる。他の場合と同様に議論すると、次の式に 到達する。

17(B2 + B) + 4 = A2 + A

両辺とも偶数である。ここでいろいろな可能性を考えなければいけなくなり、 問題はずっと複雑となる。 もし、これがテオドロスの方法であれば、ごく自然に の手前でストップすることとなる。

が無理数であることの幾何学的証明 (Zeuthen)

ハーディー・ライトからの翻訳です。

Zeuthen により示唆された証明は、数によって異なり、 その違いは を表示する周期的連分数展開の底に依存している。 我々は典型例として最も単純な場合 (N = 5) を取り上げる。

我々は

x = ( - 1)/2

で議論をする。このとき x2 = 1 - x である。

幾何学的には、AB = 1, AC = x であれば

AC2 = AB・CB

となり、AB は点 C で「黄金比」に分割される。 これらの関係式は円に内接する正 5 角形を作図するのに基本的なことである (ユークリッド原論 IV, 11)。

もしも 1 を x で割って、最大の正の整数を商 (すなわち 1) とすれば、余りは 1 - x = x2 である。 もしも x を x2 で割れば、商は再び 1 で余りは x - x2 = x3 である。 次に x2 を x3 で割り、この操作を無限に続ける。どの段階でも 割られる数、割る数、余りの比例は全て等しい。

幾何学的には、もしも CB の反対側に CC1 を等しく取れば、 AB の C における比 (すなわち黄金比) と同じ比で CA は C1 で分割される (割られる)。 もしも、C1A の反対側に C1C2 を等しく取れば、 C1C は C2 で黄金比に分割される (割られる)、などである。 どの段階でも線分を同じ比に分割することを扱っているため、この操作は無限に続くことになる。