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無理数の発見の歴史
-- 目次 --
1. 始めに
無理数がどのように発見されたかに関して、 最初はあまり深く考えてはいなかったのですが、ラングランの講義録 (一般市民向けの講座, 後述) に書かれていることから、考え直すことになりました。
引用されていたのは、ハーディー・ライトの有名な古典(後述) です。 私も持っているのですが、あまり歴史との関連で読んだことがなく、 ラングランの指摘から随分違うことに気が付くことになりました。
ピタゴラス BC 569 頃 - BC 475 頃 が無理数であることがピタゴラス学派によって発見 テオドロス BC 465 - BC398 が無理数であることの証明 (m≦17 or m<17, m≠平方数) デモクリトス BC 460 頃 - BC 370 頃 「無理直線と立体」 テアイテトス BC 417 - BC 369 m≠平方数 のときに が無理数であることの証明 ユークリッド原論の第 10 巻、第 13 巻の元々の著者 ? エウドクソス BC 408 - BC 355 ユークリッド原論の第 5 巻の元々の著者 アリストテレス BC 384 - BC 322 が無理数であることが 偶数奇数に基づいて示されることを言及 ユークリッド BC 325 頃 - BC 265 頃 素因子分解の一意性
おおよその歴史を書けば、上の表の様になります。かいつまんで説明をすると。 ピタゴラス学派によって「 が無理数であること」が証明されたようですが、 この時点では「素因子分解の一意性」が知られていなかったようで、そのため m が平方数でないときに 「 が無理数であること」は証明できなかったようです。 「素因子分解の一意性」はユークリッド原論で証明されているとされていますから、 この時点で、多くの無理数の存在がようやく確定したことになります。 テオドロスの時点ではそこまで到達できず、m<17 あるいは m≦17 までの 非平方数に対してのみ が無理数であることが証明できたまでのようです。
このテオドロスの証明は残っておらず、多くの憶測があります。本文中ではハーディー・ライトの 本にある通りに紹介をしております。
古代ギリシャではどのようにして無理数論が発展したのかよくわかりませんが、 その集大成はユークリッド原論の V のようで、これはエウドクソスによるものと されています。ユークリッド原論の V では実数が等しいか否かを「デデキントの切断」によって定義していますから、 わずか数百年の間に目覚しい発展を遂げたことがわかります。
素因子分解の一意性の証明には通常次が必要となります。 これはピタゴラス学派の時代には知られていなかったことで、 ユークリッド原論には (同等の) 記載があります。一般には 「基本定理」とは呼ばれませんが、素因子分解の一意性が確立すると共に 非常に多くの無理数が発見された理由でもあるようなので、 その意味で、このページでは「基本定理」と呼ぶことにします。
基本定理
p を素数とする。p が自然数 a, b (>1) の積 ab を割り切れば、p は a, b のいずれかを 割り切る。
無理数の発見に関する話をするためには、「素因子分解とその一意性」のことから始めないといけません。 最初にかいつまんで整理します。その次の「無理数の発見」の内容は 基本的にはハーディー・ライトからの引用です。
ここまで書き終えた後で、インターネットの英語のページで「無理数」、「幾何学的証明」 を検索すると随分多くのページがヒットすることがわかりました。 「無理数であることの幾何学的証明」は英語圏ではとてもポピュラーな話題なようです。 面白いことが書いてあるので、色々検索されたページを参考にして 「 が無理数であることの幾何学的証明」を付け加えることにしました。 英語圏ではピタゴラス学派が 「 が無理数であること」を幾何学的に 証明したと考えている人が多く、それがポピュラーである理由のようです。
追加: 以上を書きあげた後で、ずいぶん経ってから、ファン・デル・ヴェルデンの本を何気なく 目を通していたら、ここにピタゴラス学派による「 が無理数であることの証明」が解説されていることに 気がつきました。推論ですが、とても説得力があります。「始終目を通しているのになぜ気がつかなかったのか ?」 と言われそうですが、「ディファントス方程式」と題した章の中の「ペル方程式」の箇所に書かれており、 これはもっと後世のディオファントスの頃の解説であろうと決めつけていたためです。 ピタゴラス学派による「 が無理数であることの証明」は 現代的な言い方をすれば の連分数展開が有限で終了しないということからの結論で、あわせて特別な形のペル方程式も解いていることが確実となりました。 ピタゴラス学派は が無理数であることを示すことを目的としたのではなく を有理数で近似しようとして、 その結果気が付いたはずなのです。
なお現代の意味における連分数展開は、厳密には古代ギリシャにはありませんが、 同等のことが線分に対して、ユークリッド互除法を適用することで得られます。 ユークリッド原論にもこのように扱われています。
ピタゴラス学派による の近似に関してはディクソンにも記述があり、ファン・デル・ヴェルデンと同様に プロクロスによる注釈を根拠にしています。 ディクソンには の近似をするための漸化式の根拠が書いてありません。 ファン・デル・ヴェルデンは、この漸化式が現在の言葉では の連分数展開から得られるものである ことを指摘し、またその形から、連分数展開が循環することがわかり、 これで が無理数であることが結論できるはずだと言っているのです。
色々混乱したため 「連分数展開 - 現代的視点から」と「ペル方程式 - 現代的視点から」 を付け加えましたが、これを読むのは不要かもしれません。 「互減法 - 古代ギリシャの観点から」 を直接読む方が直観的により理解できるかもしれません。 この箇所の記述はファン・デル・ヴェルデンの記述を参考にして、 互減法 (互除法のこと) がどのように古代ギリシャで理解されていたのかを推測して書いたものです。
新たに追加したのは第五章以後です。第五章に掲げた「 が無理数であることの幾何学的証明」 は、ボイヤーに載っているものです。色々読みあさっているうちに気がつきました。
2. 素因子分解とその一意性
ごく基本的な言葉から導入します。
整数 a, b (≠ 0) に対して
と書けるとき
a は b の倍数 b は a の約数 b は a を割り切る と言います。自然数 a, b (≠ 0) に対して
a, b の両方を割り切る自然数を a, b の公約数 と呼び、 a, b の両方で割り切れる自然数を a, b の公倍数 と呼ぶ。 2 つの自然数 a, b に対して、a, b が互いに素 であるとは、 a, b の公約数が 1 のみである時である。 自然数 p (>1) の約数が 1, p のみのときに、p を素数 と呼び、そうでなければ 合成数 と呼びます。 素数に関しては次の定理が基礎となります。
定理 (素因子分解とその一意性)
任意の自然数 n は素数の積で書け、その分解の仕方は積の順序を除けば一意的である。
任意の自然数 n を素数の積で表示することは簡単です。 n が合成数であれば、2 つの数の積 n = n1 n2 と なり ni が合成数であれば、更にそれを分解すればよいだけだからです。 だから、いつかは素数の積になります。 従って、本質的なのは「素因子分解の一意性」の方です。これを示すには
n = p1 ... pr = q1 ... qs (pi , qj 素数)
のような表示があったときに
p1 ... pr = q1 ... qs ...... (*)
の両辺から同じ素数を見つけて、順番に割っていけば、結論に到達します。例えば p1 = q1 であることがわかれば
となるためです。積の順番を並べ替えて、常にこのようにすることができれば、それで証明が完了します。
以上の点から、素因子分解の一意性を示すには、次の定理を示すことができれば よいことがわかります。この定理を何度も適用することによって、(*) の左辺の pi は 右辺の qj の中にないといけないためです。
基本定理
p を素数とする。p が自然数 a, b (>1) の積 ab を割り切れば、p は a, b のいずれかを 割り切る。
実質、これはユークリッド原論で知られていたこと (p 166) で、そのため「素因子分解とその一意性」が ユークリッドに知られていたとされています。但し、ユークリッド原論では少し違う形で 述べられています。現代的な言葉で書くと次のようになります。 またユークリッド原論の証明も現代的な形で紹介することにします。
基本定理 (ユークリッド原論における形)
a, b が x と互いに素であるとする。そのとき c = ab は x と互いに素である。
基本定理の現代的な証明も付けておく事にします。(証明にも色々ありますが、 可換環論などに深入りせずにした場合の証明です)
3. 無理数の発見
が無理数であることの 2 つの証明
ハーディー・ライト の本の 4.3 (p 39) のあたりから抜粋をする必要があります。 まず定理を掲げています。
ハーディー・ライト は 2 つの証明を挙げています。それも紹介しないといけません。 (読みやすくするため、原書を少し変更して紹介します。)
「第一の証明」では素数 p が a2 を割り切っていることから p が a を割り切っていることを 結論しています。従って、これは「素因子分解とその一意性」で示した「基本定理」を 適用しているのです。
ハーディー・ライトは 2 つの証明を比較検討しています (p 41)。内容を少し紹介することにします。 第一の証明では
p が a2 を割り切る =⇒ p が a を割り切る
という事実を使用しており、これには「素因子分解とその一意性」の「基本定理」 と称したものを使う必要があります。この証明の良い点は m が平方数でない場合にも が無理数であることを示すことができることです。
一方、第二の証明では
2 が a2 を割り切る =⇒ 2 が a を割り切る
という事実を使用していますが、これを示すには「基本定理」を知らなくても可能です。 というのは、a が奇数 2s + 1 であれば
a2 = (2s + 1)2 = 4s2 + 4s + 1
となり、a2 は偶数とはならないためです。だから a2 が偶数であれば a は偶数です。
第二の証明に関しては が無理数であることを示すために補正することができます。 しかし、
5 が a2 を割り切る =⇒ 5 が a を割り切る
という事実を示すには、5 が a を割り切らなければ a = 5s+1, 5s+2, 5s+3, 5s+4 の 可能性がありますから
a = 5s+1 =⇒ a2 = 25 s2 + 10 s + 1 a = 5s+2 =⇒ a2 = 25 s2 + 20 s + 4 a = 5s+3 =⇒ a2 = 25 s2 + 30 s + 9 a = 5s+4 =⇒ a2 = 25 s2 + 40 s + 16
のように、起きうる場合をすべて計算して、いずれも a2 が 5 で 割り切れないことを確かめる必要があります。
以上の方法を取れば、m が平方数でない場合に が無理数であることを示すには m が大きくなればなるほど、計算が大変となり、困難となります。
ピタゴラス学派の証明は m が大きくなれば、困難であったことが次の「テオドロスの発見」 で明らかとなります。従って、第二の証明がピタゴラス学派の証明であった可能性も 残ることになります。
テオドロスの発見
ハーディー・ライトを部分的に翻訳することにしましょう。
「ピタゴラスの定理」が何時、誰によって発見されたかは不明である。 Heath のよると「発見は恐らく、ピタゴラス自身によるものではない、しかし ピタゴラス学派によるものであることは確実である」。 ピタゴラスの生存期間は BC 570-490 頃で、 BC 470 年頃に生まれたデモクリトス (Democritus) は「無理直線と立体について」(on irrational line and solids) を書いた。そのため「 が無理数であることが発見されたのは デモクリトスよりも以前であると結論せざるを得ない」
訳注 (1)「ピタゴラスの定理」とは「 が無理数であること」 (2) 引用されている Heath の文献は Sir Thomas Heath, A manual of Greek mathmatics, 54-55 定理は 50 年以上も拡張されなかったようである。プラトンのテアイテトス (Theaetetus) に は有名なくだりがあり、そこではテオドロス(Theodorus, プラトンの先生) が
, , .... が無理数であることを、別々に取り上げて、証明したことが記述されています。 ところが 17 の平方根に至って、何らかの理由で突然に中止しています。 我々はテオドロスによるこの発見、あるいは別の発見に関して、正確な情報を 持ち合わせていません。しかし プラトンの生存期間は BC 429-348 ですから、 この発見はおよそ BC 410-400 年頃であろうとしてよいと思われます。
テオドロスがどのようにして定理を証明したかに関しての問題は多くの歴史学者 の巧妙な発想を喚起した。
ハーディー・ライトは更に議論を続け、テオドロスがした証明に関しては、 McCabe による証明が最も可能性のあるものであるとしています。 を取り扱ったか否かはギリシャ語の ニュアンスからは不明で、McCabe の方法は で証明が困難になるというものです。
最後に Zeuthen による「 が無理数であることの幾何学的証明」にも頁を割いています。 これもテオドロスがしたかもしれない証明です。
このどちらの証明もハーディー・ライトに書かれているように紹介することにしましょう (翻訳です)。
が無理数であることの証明 (McCabe)
ハーディ・ライトからの翻訳です。
順番に N に対して を考察する際に、テオドロスは N = 4n を無視することができた。 に関してはすでに扱っていたためである。これ以外で N が偶数である場合には N は 2( 2n + 1) の形を取り、 の証明がそのまま適用できる。従って N が奇数の場合を 考えればよい。このような N に関しては
= a/b, gcd(a, b) = 1 とすれば Nb2 = a2 となり、a, b は共に奇数となる。 a = 2A + 1, b = 2B + 1 とすれば
N(2A + 1)2 = (2B + 1)2 N は次の形でなければならない。
4n + 3, 8n + 5, 8n + 1 もしも N = 4n + 3 であれば、積を作って、2 で割れば、次を得る。
8nA(A + 1) + 6A(A + 1) + 2n + 1 = 2B(B + 1) これは不可能である。左辺が奇数で、右辺が偶数である。 N = 8n + 5 であれば、積を作って、4 で割れば次を得る。
8nA(A + 1) + 5A(A + 1) + 2n + 1 = B(B + 1) これも不可能である。というのは A(A + 1), B(B + 1) は共に偶数であるからである。
8n + 1 の数が残ることになった、これは 1, 9, 17,... が該当する。 無論 1, 9 は自明で、N = 17 で困難となる。他の場合と同様に議論すると、次の式に 到達する。
17(B2 + B) + 4 = A2 + A 両辺とも偶数である。ここでいろいろな可能性を考えなければいけなくなり、 問題はずっと複雑となる。 もし、これがテオドロスの方法であれば、ごく自然に の手前でストップすることとなる。
が無理数であることの幾何学的証明 (Zeuthen)
ハーディー・ライトからの翻訳です。
Zeuthen により示唆された証明は、数によって異なり、 その違いは を表示する周期的連分数展開の底に依存している。 我々は典型例として最も単純な場合 (N = 5) を取り上げる。
我々は
x = ( - 1)/2
で議論をする。このとき x2 = 1 - x である。
幾何学的には、AB = 1, AC = x であれば
AC2 = AB・CB
となり、AB は点 C で「黄金比」に分割される。 これらの関係式は円に内接する正 5 角形を作図するのに基本的なことである (ユークリッド原論 IV, 11)。
もしも 1 を x で割って、最大の正の整数を商 (すなわち 1) とすれば、余りは 1 - x = x2 である。 もしも x を x2 で割れば、商は再び 1 で余りは x - x2 = x3 である。 次に x2 を x3 で割り、この操作を無限に続ける。どの段階でも 割られる数、割る数、余りの比例は全て等しい。
幾何学的には、もしも CB の反対側に CC1 を等しく取れば、 AB の C における比 (すなわち黄金比) と同じ比で CA は C1 で分割される (割られる)。 もしも、C1 A の反対側に C1 C2 を等しく取れば、 C1 C は C2 で黄金比に分割される (割られる)、などである。 どの段階でも線分を同じ比に分割することを扱っているため、この操作は無限に続くことになる。