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2012年6月3日日曜日
2012年6月2日土曜日
2012年5月31日木曜日
旅のパーツ 男70歳代、独りヨーロッパを往く
--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-
前のブログで、「私には絶対方向感があり、一度行ったところへは地図無しでたどり着ける。」と書いた。
しかし、「3年前のことだ。ただ記憶が残っていただけなんだろう。」と言う人があるかもしれない。
確かにその通りである。
けれども、これを聞いてもらえれば、「私の絶対方向感を確信して戴ける」取って置きの話がある。
オランダのアムステルダムのお話である。
その観光名所の一つに、「アンネ・フランクの家」がある。
私が初めてそこを訪れたのは、1974年、今から37年前のことだ。
2度目に行ったのは2004年のことで、その間30年隔たっている。
その二回目の訪問の際に「家」の前に立った時、風景が前に見たのと少し違うことに気がついた。
右斜め前方� ��大きな教会の屋根が見える。
正面から教会に向かって臨む角度が前より少し大きくなっている。
家の中に入っても、何となく前と微妙に違う。
そこで、係の人に「30年に来た時と様子が違うと思うんだけど、何か変わっていることはないのか?」と尋ねた。
すると「この家は本物の家の一軒隣である。アンネが住んでいた家は観光客の出入りで痛んできて保存が困難になり、教会から離れた側の隣の家を公開している。」との返事であった。
それから7年経っているが、おそらく本物はもう公開されることはないと思う。
それを確かめに2~3年後にオランダを訪れたいと思っている。
ともあれ、恒久的だか一時的だかは不明だけど、少なくとも2004年の頃は「お隣さん」が公開されていたのだ。
� ��が調べた限りでは、ガイドブックにもインターネットの書き込みにも、この事に触れたものはない。
ネガティブな事柄を誰も公にしない(それ以前に、この事実を知らない)からであろう。
すなわち、これを知っているのはオランダ政府の文化庁・観光局の職員と近所に住む極く一部の人しかいないことになる。
日本人では、私一人かもしれない!!
逆に言えば、嗅覚がするど過ぎて知らねばよかったことを知ってしまい、夢を壊してるのかも?!
2011年11月18日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0
今年の旅行でも、ご他分に洩れず、様々なハプニングに遭遇した。
その中でも、皆さんは滅多に体験しないであろう「ホトンド私だけの出来事」について書いてみよう。
まず第一の大事件は「持って行ったパソコンが旅の初めに壊れてしまったこと」である。
親しい人へ送った絵葉書に「パソコンが使えないことを除いては、旅は順調です。」と書いた。
しかし、これは本音ではない。
パソコンが使えないことは、私にとって「旅の楽しみを半減する」程の大きな痛手なのである。
ともかく、ブログが書けない。
さらに、交通・気象などのリアル・タイムの貴重な情報が得られない。
さらにさらに、ウオークマンの充電ができない。
この不便を解消するために、日本語が使えるコンピュータ を置いているインターネット・カフェを探す。
そんなものが見付かるはずがないと思いつつ、奇跡が起こることを一縷の望みにして街をさまよい歩くことになる。
こうして、イライラしながら時間と体力を無駄に消耗してしまう。
予定していた観光がこなせない。
ストレスが溜まること、この上なしである。
結局、プラハでもブダペストでも、日本語が使えるコンピュータには巡り会えなかった。
ようやく私の条件に合うコンピュータに出会ったのが、旅行開始6日目のウィーンのインターネット・カフェ。
このカフェは、3年前に使ったことがある。
その時コンピュータを持っていたが、ホテルに無線LANが無かったので、やむを得ずそこでブログを書いた。
今回は無線LAN完備のホテルを予約し ていたので、まさかここを使うとは予想だにしていなかった。
ウィーンは3回目で、かつ2泊しかしない予定だったので、カイドブックは持ってきていなかった。
ということは、店の名前も、所在地も全く分からない状況だった。
では、どうしてこのカフェにたどり着けたのか?
ここから、私の真骨頂を発揮する。
私は、例えそれが何十年前であろうとも、自分で探しながら歩いた道はくっきりと思い出すことができる。
まるでVTR、いや今ではDVDかな(?)、を再生するが如くに。
私の本能は「先ず地下鉄に乗って『カルルス・プラッツ』まで行け。そしてリング(ウィーン旧市街の環状道路。トラムも走っている。)の内側に入れ。そこから東に2筋歩き、左折して北へ3筋歩け。赤っぽい建物で行き止ま っているから、そこを左折しろ。カフェは左手にある。」と言っている。
その通りに歩いてみた。
東に一筋歩いたところで左を見たら、見覚えのある風景が広がっていた。
ここの一筋は「普通の一筋」よりも遙かに長いので、2筋と勘違いしていたようだ。
あとは本能の命ずるままに歩き、一発でカフェが見付かった。
私は、常々、「私には、犬と伝書鳩との本能が兼ね備わっている。」と豪語している。
地図とコンパス(方位磁石)が有れば、世界中のどこへでも行ける。
一度行ったところなら、何もなくても目的地にたどり着ける。
頭の中の映像記憶機能は、下手なコンピュータを上回っている。
これが「どこへ行っても物怖じしない」原動力の一つなのだ。
初めての土地でタクシーに乗って、帰 りは歩くことなどはヘッチャラである。
37年前に歩いた「スイス・グリンデルヴァルトの山道」の道筋もはっきりと憶えている。
私はこのことを「絶対方向感」と言うのだと信じている。
ということで、ウィーンのインターネット・カフェには無事たどり着いた。
後は、チェコ人の友達のコンピュータを借りたり、ローテンブルクのカフェで和文字を打ち込めないコンピュータを使って、ローマ字でこのブログを書いたりもした。
パリでは、たまたまガイドブックで見付けた「日本人専用のインターネット・カフェ」を5回使った。
そういう訳で、今回の旅行では「インターネット・カフェ代」が高くついたヨ。
2011年11月13日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0
今年(2009年)の旅は、過去16回の海外旅行で間違い無く最良の旅であった。
その理由を列挙してみよう。
(1) 健康に恵まれた。
一ヶ月の旅行中には、「今日は疲れたから、ホテルで寝ていよう」とか「風邪薬を飲んで静養しよう」という日が2?3日有ってもおかしくない。ところが、今年はそのような日が全く無かった。
午前2時に寝、5時に眼を醒まし、風呂に入る。6時半~7時からの朝食を済ませ、直ぐにホテルを飛び出す毎日であり、疲れたという感覚が無かった。
このことが、以下に述べる「全て良し」の結果に繋がったと思う。
(2) 多くの友人を得、多くの人と話ができた。
私の旅の第一目的は、「地元の人と話すこと」および「友を作ること」である。
勿論、景色か良いに越したことはないが、それは二の次である。
今回、現在でもメールを交換している三人の言語関係者に出会った。
一人は日本の方で、「自動翻訳」を研究している学者。
もう一人はドイツ人で、スカンジナビアの少数民族「サーミ人」の言葉についての辞書や文法書を出版している言語学者。
最後は、偶然知り合い、チェコ語の基礎を教えてくれたチェコ人男性。
その他、これから連絡しようとしている「ドイツの室内装飾家の女性」や「ドレスデンの国立美術館に勤めるチェコ人女性」。
旅の途中で会話を交わした「忘れえぬ各国の人々」やこのブログを紹介し� �「日本人旅行者の方々」。
2012年5月17日木曜日
MTの仮免3回と卒検2回落ちたwwwwwwwww
死にたい
寝てないで働けや
お前についてもご注進に及んでやるよ
ありがたく思えよ無能
それはちょっと・・・
>>3
1段階は4時間オーバーした
2段階は0時間
>>4
ありがとうございます有能様
頭が上がらないです
がんがれ
お金切り詰めて免許とってたから毎日必死こいて勉強してたなぁ
どうも
ちなみに今度3回目の卒検だ
運が悪いだけなのか俺の実力不足なのか分からん
おおむね後者かな
学科で落ちてるなら完全に実力不足だな。
もし路上で落ちてるなら
・いつもなら止まってない場所に車が路駐してる
・いきなり車がでてきた
とかの運要素もあるが。
学科はたしか100問中95点が合格だっけかな
運でクリアするにはまず無理
2012年5月15日火曜日
グレート フォールズ (モンタナ州)(Great Falls (MT))ホテル予約
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!doctype>2012年5月13日日曜日
12個のコインがあります。1個だけ他の11個と重さが違うので.. - 人力検索はてな
12個のコインを3個ずつのグループに分けます(A,B,C)
AとBを天秤に乗せたら釣り合いませんでした。
AとCを天秤に乗せます。
→つりあったら、Bの中に重さの違うコインがある。
→つりあわなかったら、Aの中に重さの違うコインがある。
重さの違うコインのグループから3個チョイス。
!doctype>2012年5月11日金曜日
迫りくる世界大恐慌 - 国際情勢の分析と予測
●恐ろしいデレバレッジングが始まった 債務の山の麓での厳しい強行軍 2012.03.15(木)英フィナンシャル・タイムズ紙
レバレッジング(負債圧縮)」は、大変な旅を指す不快な言葉だ。すなわち、信用バブルの後に過剰債務を減らす旅である。今、その努力が特に難しいのは、米国やその他の経済大国に影響を及ぼすからだ。デレバレッジングは単に地域の出来事ではなく、グローバルな出来事なのだ。
マッキンゼー・グローバル・インスティテュートは1月、デレバレッジングに関する貴重な調査報告の改訂版を公表した*1。これは、はっとさせられる資料だ。デレバレッジングの道のりは、まだ先が長いことを示しているからだ。だが幸い、報告書は米国経済がデレバレッジングで最も進んでいるということも示している。
一時的な財政赤字の増加は恐慌を防ぐ< br/> 債務をさらに抱えることで債務から抜け出すことはできない。読者の皆さんは一体何度、このような論評を読んだだろうか?
これは決まり文句だ。そしてマッキンゼーの調査が指摘しているように、間違った考えでもある。1990年代初頭に大きな危機に見舞われたスウェーデンとフィンランドは、なぜそれが間違っているかを示す好例だ。
穏便なストーリーは以下のように展開していく。まず、借り入れの急増は巨大な金融危機に終わる。政府はすぐに金融システムを再編する。過剰な債務を抱えた民間の借り手は、支出を大幅に削って債務を減らす。中央銀行は金利を引き下げる。
結果的に生じる経済活動と利益の急減により、政府は巨額の財政赤字に追い込まれ、一方で財政赤字が経済を支えることにもな� �。最後に、輸出に助けられて経済が回復し、政府が財政再建に乗り出す――。
このように、財政赤字の一時的な増加は、民間部門が支出削減を余儀なくされる事態から経済を守る助けになるわけだ。財政赤字が増えない場合、恐慌が生じ、返済ではなく大量の破綻によって債務が減っていくことになる。
民間部門の回復のために必要なこと
残念ながら、スムーズな調整の道のりは、時間がかかる。また、政府の信用力にも左右され、政府の信用力は民間部門のそれより大幅に高くなくてはならない。米国と英国にはこれが当てはまるが、スペインには当てはまらず、同国は激しい緊縮を強いられている。
危険なのは、民間部門がいつになっても完全に回復しないことだ。日本では、これが起きたように見える。マ� ��キンゼーの調査報告書は、その危険を回避するには何が起きなくてはならないか説明している。リストに挙げられているのは、銀行システムの安定、財政の持続可能性に向けた確かな計画、構造改革、投資と輸出の増加、住宅市場の安定、建設活動の回復などだ。
経済が支えられる債務の量は、誰が借りて誰が貸したのかということに加え、担保の価値、そして何より経済活動によって決まる。不必要に破壊的な債務の減少をもたらす最も確実な方法は、経済が崩壊するに任せることだ。
積極的な金融政策と、一時的な多額の財政赤字が重要なのは、このためだ。民間部門が削減に取り組んでいる時に公的部門が支出を維持しなければ、民間部門は度を越すまで支出を削減し、不必要に深刻なダメージを経済に与えてしまう 。
米国のデレバレッジングが大きく進み、英国とスペインが遅い理由
では、デレバレッジングは今、どこまで進んだのか?
米国の場合、2008年から2011年第2四半期にかけて、債務総額は国内総生産(GDP)比で16%減少した。英国とスペインでは、同じ期間に債務が増加している。1つには、英国やスペインと比べると、米国がはるかにうまくGDPの水準を維持してきたためだ。また、米国では、金融機関と金融以外の企業部門も首尾よくデレバレッジングを進めてきた。
だが、英国とスペインでは、金融部門はデレバレッジングを行っていない。そして何より、米国は英国やスペインよりも家計の債務を大きく削減してきた。米国では、主にデフォルト(債務不履行)のおかげで、家計債務の絶対額さえ減少している� �
米国の家計債務は、1990年代のスウェーデンのデレバレッジングに並ぶまでには、まだ道のりを3分の1ほど進んだだけだとはいえ、米国の長期トレンドの水準まで戻っている。
全体的に見ると、危機後の米国は、英国とスペインより健全な状態にあるようだ。政府と民間を合わせた米国の債務総額(2011年第2四半期でGDP比279%)は、英国(507%)やスペイン(363%)よりはるかに少ない。米国政府の借り入れ能力は依然高い。
英国政府の借り入れコストも低いままだ。GDP比219%に上る金融部門の巨大なバランスシートが、英国の高い債務水準を概ね説明する。だが、英国政府は歳出を削減している一方、民間部門のデレバレッジングは遅々として進まない。
スペインでは、政府の借り入れコストが米国や英国より 大幅に高く、民間部門のデレバレッジングはこれまで、ごく限られたものになっている。
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